8、空手界の経緯と現状


空手とは、沖縄の手(ティ)という武術が源であり、中国(唐)や日本、東南アジア諸国などの拳法等と融合してできたもので、戦前は唐手(トゥーディ)と呼ばれていました。
沖縄では、大まかな分類として、首里手(首里手)、那覇手(ナハテ)、一部に泊手(トマリテ)の三つに大別されます。
首里手は古くは少林流、那覇手は昭霊流とも呼ばれていました。
首里手では松涛館、和道流、那覇手では剛柔流、そして双方の流れを引く糸東流が有名であり、四大流派と呼ばれています。
他にも多数の流派が数多あります。

沖縄では初期に中国南部の明国(漢人:漢民族)の南派少林拳の影響を受け那覇手が誕生し、後に中国北部の清国(満人:満州周辺の騎馬民族)の北派少林拳の影響により首里手が誕生し、時代の変遷とともに、様々な諸流派が生み出されてきました。

一般的な空手のイメージですと、突き(パンチ)と蹴りによる打撃中心の戦い方が主となっています。
これは首里手が那覇手に先駆けて本土に普及した為でもあるでしょう。
一方で琉球版柔術といってもかまわない感がある那覇手では、剣術から派生し既に確立されていた柔術があった本土において、無用のものであったのかも知れません。
しかし流派により戦闘戦術は様々です。首里手は遠距離からの剛法(打撃)を主眼とし、那覇手は接近戦での剛法と柔法(柔術)を掛け合わせた剛柔法と主眼とします。

数多ある流派や系統、技法等はその全容が要として知れません。
沖縄の空手は、古来より非常に秘密主義的であり、良質の文献も少なく実態が知れない部分が多々あるのです。

空手は戦後に本土に広く普及し、様々な新流派も誕生しました。
空手の技を用いて実際に戦う自由組手、その練習方法や競技方法等もこの頃より考案され、実施され始めました。
沖縄では、空手は必殺の闘争術であるとして、自由組手は真剣勝負で生死を分かつものであるとの考えから、一般的には行われておりませんでした。
現在でも自由組手稽古や競技を否定する流派が存在します。

本土での空手は、沖縄から伝わった伝統派の他に、新たに誕生した流派が多数存在します。
流派の系統としても様々ですが、練習方法や競技方法、組手のルールなど、非常に多種多様です。

稽古内容としては、沖縄風に型のみをひたすら練習するのもあれば、自由組手を奨励するところもあります。
肝心の型に含まれる伝統の技術は、空手が沖縄から本土に伝わった際に、そのほとんどが秘伝のため伝わらなかったとする説も多くあります。

首里手は、和道流や松涛館など他にも多数の流派が本土で活動しており、その中から新たな流派が生み出されています。
その広く分派する気質のせいか、良質の指導者が多くあり、また最近ではインターネットなどでも、秘伝とされてきた古伝の技法を紹介するWebサイトが現れてきました。

那覇手では剛柔流がポピュラーですが、流派の数が少ないせいもあり、首里手に比べてマイナーな存在となっています。
本土では先に首里手が広まった事もあり、空手というと突きや蹴り等の剛法のイメージが強く、組討ちなどの柔法で対手を制圧した上で剛法で止めを刺すとした剛柔法の那覇手は少数となっています。
那覇手は沖縄版の柔術といった色合いも強く、本土では多数の柔術流派が古くより存在した為、受け入れられ難かった可能性もあります。

自由組手のあり方は、剛法のみ、あるいは剛法、柔法の両方を用いる場合がありますが、前者が一般的です。
剛法では寸止めと実打(フルコンタクト)に大別されます。実打では手による顔面攻撃のみを禁手とするところ、グローブや防具を付けて顔面も攻撃するところなどです。
剛柔法では、剛法(打撃)と柔法(柔術)の両方を用いて戦います。最近流行で、テレビ等でも放映される「プライド」や「パンクラス」、USAの「アルティメット」の大会ルールで用いられる、いわゆる「総合格闘技」です。

昨今では、沖縄や本土に拘わらず、流派の分裂が非常に多く起こっております。
空手の理念の違いにより、新たなルールを採用し、新種の空手が創造される場合があります。これにより新流派が誕生します。
一方で、会派や団体を運営するに当たって、運営方針の意見の相違や、派閥争いなどにより分裂する場合も見受けられます。
それ故に、同一流派であっても多数の会派が存在し、それぞれに稽古内容や型が異なる場合もあります。

伝統派の全国統一団体としては、沖縄四大流派が主となった「全日本空手道連盟」や、「日本空手道協会」などが著名です。
他にも非常に多数の全国統一団体が作られています。

競技化が推し進められる中で、近年オリンピックへの参加が叫ばれていますが、IOCより国内の諸派の統一を求められており、調整が続いています。
反面、武術の本質が競技化により失われるとして、危惧する声も一部流派よりあがっています。
同時に、武術本質を残しつつも、競技化の道を探る必要を説く声も高まりつつあります。

剣術は江戸時代に千葉周作が剣道へのスポーツ化に成功しています。
当時、江戸神田のお玉ヶ池畔の玄武館で、竹刀と防具を用いた稽古方法で広く普及しました。
柔術は明治時代に嘉納治五郎が柔道を創設し、武術としての武道から万人に向けたスポーツとしての武道の道を開きました。
空手術は空手道としての道を模索していますが、スポーツ化に関しては柔剣道に大きく遅れをとっているといえるでしょう。

トップへ