6、那覇手 対 首里手

那覇手の戦術は主として接近戦型、対して首里手は遠距離戦型です。

では剛柔流は、どの程度の接近戦なのでしょうか。
多くの道場では猫足立ちで構え、中間距離で戦う場合を多く見受けます。

しかし剛柔流の基本の立ち方は三戦立ちです。立ち方とはその武術の根幹を支えるものなのです。
これは上着を両手で捕まれた際の下から振り上げるような脛部での股間蹴りに対処したものです。
いっそ両膝を付き合わせてしまえば防御は完璧ですが、この状態では踏ん張りが利かず投げ飛ばされてしまいます。
四股立ちを使えば踏ん張りが利き、投げられることは無いでしょうが、股間の無防備さは如何ともなりません。
そこで股間を防御しつつ、踏ん張りも利かせるための三戦立ちなのです。
これはいわゆるパンチ、キックの間合いではなく、猿臂(肘)打ち、膝蹴り、頭突きの間合いなのです。
突きや蹴り等の攻撃技、及び防御技もそれらに合わせて作られています。

では、遠距離戦闘に特化した首里手相手ではどのようにしたら良いのでしょうか。

結論からいうと、完成した首里手の達者が相手では、対処は非常に困難です。
接近戦では無敵を誇る剛柔流でも、遠距離戦闘ではその威を失います。
反面、その間合いは首里手の独壇場なのです。
しかも競技試合を含め、一般的に見受ける場面では遠い間合いから開始する場合がほとんどです。
那覇手としては下段攻撃をよしとした上で、中間距離か、四つに組んだ状態から開始して欲しいところでありますが。

このような戦術体系は、その武術の生い立ちによるものなのです。
空手の元になった中国拳法(少林拳)ですが、広大な国土に50を超える多民族が混沌とし、警察機構も脆弱で、野盗や馬賊が跳梁跋扈する土地にあっては、自衛するのは当然であり、武術は必然でした。

南派少林拳は広東省や福建省等の南方に在住していた漢民族の武術です。
対して北派少林拳は北方の満州周辺にいた騎馬民族(満人)の武術でした。
漢人と満人の住むそれぞれの土地の隔たりたるや、数千キロ!
鉄道や飛行機等の交通手段の発達した現代と違い、当時は両者の交流は稀であったはずです。
一生の内に出会わなかった者の方がほとんどだったことでしょう。
生涯出会う事のないであろう敵を倒す為に武術を稽古したとは考えられません。
降りかかる危険を防ぐ為に生まれたのが武術の初源のはずだからです。
つまり南派は南派、北派は北派を意識して武術が創られ練られたと考えるべきです。

沖縄空手は、それら明国(南派少林拳)と清国(北派少林拳)の影響を多大に受けた武術なのです。

しかし、今日の我々の場合は状況が違います。
日本は中国とは違い南北に長い島国であり、四季の気候がはっきりとし、南方、北方の両地域特徴をそなえています。
しかも那覇手使いや首里手使いもいます。
相手によって、または季節や環境、現場の状況に合わせて戦術を組み立てる必要があります。

近代ボクシングの試合でも、インファイターやアウトファイター等の各種タイプのボクサーがいます。
異種タイプ同士ですと、どのように間合いを詰めるか、またはどうやってロング・レンジで仕留め切るかが課題になります。
しかし、インファイター同士の試合ですと、お互いに容易に歩み寄り、得意の間合いに入ります。
アウトファイター相手と違い、接近するのにそれ程神経過敏になる必要が無い為です。
アウトファイター同士の場合でも同じく全く逆のケースが発生するでしょう。
もちろんどのタイプのボクサーでも、苦手とする戦術に対する対抗策は練ってあります。
インファイターでもロング・レンジを如何に詰め寄るか考えてあるのは当然です。
実際のリングの上では色々な相手と試合をしなければならないのですから。

空手でも、お互いの長所と短所を理解して、長所を生かして短所を補い、相手より有利に闘わねば活路は開けません。
首里手としては、身上の通り遠距離にて初撃で仕留めれば良いでしょう。くれぐれも接近戦にもつれ込まない事です。
しかし那覇手としては少々厄介です。
相手が目の前にいる接近戦から戦闘開始となれば何ら問題はありませんが、道場などではその逆です。
如何にして接近戦に持ち込むか?
これが現代の剛柔流拳士の課題といえるでしょう。

我々としては、新たなる剛柔流戦術を編み出す必要があるわけですが、対首里手戦術としてはどのようなものが考えられるでしょうか。
何しろ遠い間合いから鉄砲玉のように飛来する、防御不能の技です。
並大抵の剛法ならば、鉄壁を謳われた回し受けで弾き落とせますが、回し受けとて対那覇手用の技術です。
体重と加速の乗った音速の正拳の前には威を失います。
筆者も散々、研究、鍛錬、実験しましたが、那覇手そのままの防御法では敵いませんでした。
実際にはそこまでの首里手使いは稀であり、殆んどの場合で有効でしたが、熟達者には敵いません。

そこで首里手はどの様にして攻撃を仕掛けているのか、理解する必要があります。
敵を知り己を知れば百戦して危うからず。
首里手は防御よりも先制攻撃が身上です。しかし無闇やたらと攻撃しているのではありません。
一撃必殺であるが故、外れたら危険が大きいともいえます。攻撃は如何に速くても、如何に強くても、当らなければ意味がありません。
そこで最速最強の一撃を確実に当てる技術が必要となります。
首里手には、その為の技術がいくつか存在し、これらにより「当る」攻撃を可能たらしめているのです。

これを理解、解明することが、那覇手使いの光明となるでしょう。
具体的に簡単にいうと「ガマク」のフェイントや「入り身」などがそれとなります。
「入り身」は、袴越しの姿勢をとり股関節開放による方向転換を用いた横方向への「捌き運足」、と「正中線の外し」の二つから成ります。

これを習得する事によって首里手の攻撃を見切り、直撃を避けつつ接近し、那覇手戦術での対処が可能となり得ます。
通常では武器を持った方が射程距離も長くなり有利となります。
しかし入り身をマスターすることにより、こちらの射程距離が短くても欠点とはならなくなるのです。
入り身で対手の死角に入って戦うと、武器が短くても十分届く、いや素手でも良いという状態を、身体感覚として感じることが多々あります。
日本剣術の集大成とも言われる流派で「無刀流(山岡鉄舟)」というものがあるくらいですから、入り身の重要性がわかるというものです。

柔法を併用して剛法を用いる剛柔流としては「入り身」は無用の長物でしたが、開祖 宮城長順はどのように考えていたのでしょうか。
「三戦とナイハンチを基本型とすべし」とまで言っていた開祖のこと、首里手に対する考察も相当であったと推察します。

沖縄空手を日本全国に向けて発信する計画のあった戦前期、それまでの基本型と伝統(開手)型以外に、普及型が創作されました。
剛柔流では撃砕シリーズ(続シリーズが考案されていましたが半ばで開祖が入滅)がこれに当たりますが、これが単に普及目的の型に留まらず、那覇手と首里手を超越した第三の型(空手)であった可能性があります。
撃砕は研究した場合に「解きと結びとの原理」に当てはまらない部分も多く、謎の型でありますが、首里手の要素を取り入れた那覇手と首里手の混成型である気がしてなりません。
もしかしたら究極の万能武術の試作品なのかもと、夢見てしまう今日であります。

トップへ