13、魂の熾火
一友会支部を預かって18年が経つが、今まで様々な会員と出会った。
少年や若者、そして年配者も多かった。
武術として、道として、健康として、目的は人それぞれで違ったが、皆ひた向きな稽古姿であった。
己が未熟ゆえ十分な指導が出来なかった事が、ただ悔やまれる。
来場者に話を聞くと、昔からやってみたかったという初心者もあるが、以前にやっていたが長らく遠ざかっていた者もあった。
いつの日か、もしくは再び、始めてみたかったという人々が結構多いのだ。
私も幼少の頃から、強さに憧れ、空手など徒手空拳の武術に憧れていた。
子供は大人の見ていないところで弱者苛めをするもので、自分の意見と誇りを維持するには武力は必要不可欠だと、子供心に強く実感したものだった。
小学生低学年の頃、母親に空手を習いたいと言ったが、「あんたみたいにトロイのがなに馬鹿なこと言ってるの」と、にべもなく断られた。
以来、その想いは私の心の奥底でくすぶり続け、その反動もあってか、結果ここまで空手に関る人生となった。
人生で願う全てを叶えるのは困難至極で不可能に近いだろう。
しかし何事かに臨みたいと願ったその想いは、消えることなく腹の底でいつまでもくすぶり続け、生涯に渡って魂を揺さぶり続けるものだ。
ならば道場とは、そういう人々の想いを受け止める場所なのだろうと、最近感じるようになった。
正直に言えば自分自身のことで精一杯なのだが、それが指導者としての責務であり、かつ本懐であろう。
同じ斯道の仲間として、願わくば微力であっても一助となれるよう尽力したいと思う。
あなたの魂の熾火(おきび)が、ここで燃えている・・・。